【書評】コンプラ無き時代に乾杯! 若き日の本田圭佑を「首脳」はどう見たか。フットボールサミットをサミットしてみる。【サッカー大考察】

OneTokyo


「サミット」の日本語訳は「首脳会議」。というわけで表紙に「サッカー界の論客首脳会議」とぶち上げられた「首脳」たちは元川悦子、西部健司、木村元彦などたしかに錚々たる顔ぶれ。彼らが「本田圭佑という哲学」を大テーマを元に喧々諤々語るという内容。

特に「若き日の本田圭佑」に四捨五入すれば誌面の100%を割いているのだから、議題が深掘りされるのは当然。ちなみに主宰たる森哲也は編集長ではなくて議長と表現。2020年G7首脳会議の議長国はアメリカだから、当年にあてはめると彼はトランプ大統領ということになる。

当時の本田圭佑を語る記事には多く「当時はそうでもなかった」と紡がれており、本田フィーバーの陰に隠れた岡田監督やミンティアを持ってる話も楽しいが、なかでも興味深いのが、ジュニアユースからユース……ガンバ大阪から星稜高校時代のエピソード。複数の「首脳」が別の角度でその様子を語るのだが、本書のボリュームを経るにつけそのエピソードは点から線へとつながっていく。

例えば星稜高校サッカー部監督の河崎護。彼の元には9月に話があり、実際に本田圭佑を見たのは10月の末だという。別の首脳によれば本田圭佑は当時ガンバユースの育成部長を務めた上野山信行にすぐ「星稜に行きたい」と話したというから、それが本当なら本田がガンバユース非昇格を告げられたのはその直前、おそらく夏休みの終盤あたりということになるのだろう。サッカー少年にとって中学三年生の秋は、進路を決断する一生に一度の季節。その2か月間に何があった? 斜陽の秋を過ごす本田の苦悩が誌面ににじみ出る。

本書では語られていないが、本田が星稜を選んだのには兄の弘幸(今は代理人で社長)の勧めが大きかったという。帝京高校だった弘幸は、当時戦後最多の優勝回数を誇った母校ではなくあえて星稜を勧めている。弘幸の一つ上は田中達也で、同世代には平松大志。ちなみに今は大成高校の監督を務める豊島祐介は、その三年前の帝京高校サッカー部をして「みんなライバルで自分の弱い所を見せられなかった」と述懐している。そして、本田圭佑という大魚中の大魚を逃した上野山はさんざん〇〇と言われたとか。

この首脳会議では、本田圭佑が当時描いていた未来像をレアル・マドリーの10番だと紹介している。翻って今は? 彼はミランの10番を経由してケイスケホンダそのものを職業にしている。

(アラヰフミ)

余談。四捨五入すると100%の紙面を「本田圭佑」に割くという編集スタイルの中、なぜか木村元彦によるランコ・ポポビッチインタビューが紛れ込んでいた。ンン? 木村氏がポポビッチ……と思ったらちゃっかりポポビッチにオシムの指導法をぶっこんでいる。しかも一度ならずに度三度……。さらに前置きがあるとはいえ呼称は「シュワーボ」。なんともチャーミングなエピソードである。

そして伝説のスパルタ指導者、松本育夫は京都パープルサンガ時代にオフトの話を全く聞かなかった(しかもそれで退陣に追い込んだ)選手として○○一を上げている。ちょ……、それ今の基準から考えたら完全にNGじゃない!? というか松本育夫さんの話は面白すぎなので……、(amazonkindle読み放題の対象だし)ぜひ一読をお勧めいたします。コンプラ無き時代に乾杯!

▼当時の本田圭佑の無双動画は次ページから!

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