イビチャ・オシムといえば2003年にジェフ千葉、2006年には「あっオシム、言っちゃったね」という川淵三郎がサッカー史に残した名(?)言ととも日本代表監督の就任が露わにされた名将中の名称。結果と内容をともなうサッカーマネジメント、類まれなる育成論に加え、その「オシム語録」は当時のサッカー界を席巻。その存在そのものがサッカー界を盛り上げた日本サッカー界のレジェンド中のレジェンド。
そんなレジェンドをスポーツ・ノンフィクションとしてまとめたのが木村元彦。「オシムの言葉–フィールドの向こうに人生が見える」は2005年度第十六回ミズノスポーツライター賞の最優秀作品賞を受賞。村上龍をして「最優秀の上に超をつけたい」と激賞されたという名著である。それはサイヤ人に例えれば「超サイヤ人」だ。では、何が本書を名著たらしめたのか。
オシム語録という日本サッカー界のエポック。
何しろ本書を名著たらしめているのがまず前述の「オシム語録」である。「休むのは引退してからで十分だ」と実直な言葉があったかと思えばマスコミには「スポンサーのクッキーは食べても大丈夫か?」と笑いを誘う。その語録は面白げな言葉をそれっぽくケムに巻いたかつてのフランス人監督とは違い、知的でセンスにあふれている。つまるところそれが「オシムの言葉」としてある種の保証として機能しているわけ。
そして本書はオシムがかつて遭遇した戦争による悲運が語られることにより、よりドラマティックなものへとなっていく。彼が戦争や民族のいさかいによって与えられた運命には黙ってこうべをたれるほかない。それを考えると、オシムが「勉強して、勉強して、勉強しろ」というレーニンの言葉を引用して選手を鼓舞したことも、また違った角度から見えてくる。
だけど、その悲運には本書で語らずとも、ある幸福が用意されている。
戦争がオシムに与えた試練。そしてその後。
イビチャ・オシムは本書が発売後、日本代表監督として誰からも愛され、病魔により惜しまれつつその座を退いた。しかし彼は、故郷で今でも愛されながら、妻のアシマと穏やかな余生を過ごし、その様子は、田村修一が今でも「メルシー、イバン」としてたびたび報じている。その大いなる巨星が送る穏やかな余生を「幸福」とするのは不謹慎だと思わない。その英雄が歩む人生は、だれだって苦の後に楽ありたいと望む人生の道程そのもので、つまり本書は哲学書でもあり戦術書でもあり、また英雄譚だったりする。彼自身にとってそれが例え幸福でなくても、僕らはそう思うことで幸福になることができる。オシムは、戦争に打ち勝ったのだ。
かつてジェフや日本代表で体現したオシムの「考えて走る」サッカーは、誰だってそうしてみたいとあこがれたものだ。そして、彼は日本サッカーのためにと数々の偉大な言葉を残し、その指導方法はあまたのコーチがこぞって真似してみせたものだった。
その後のサッカー界、考えて走ってる?
そして結局、日本に何が残った? それから日本サッカー界は「デュエル」の名のもと個の力にフォーカスし、何人もの傑出した才能を生み出してきた。電話越しのオシムたまにそれを嘆く。しかしまた、朝日は登る。
そして著者の木村元彦はノンフィクションライターとしての活動を続ける傍ら、ビデオジャーナリストとして戦地、あるいは戦場の爪あと残る世界で活動し、特にマイノリティに関する著作が多い。その言には彼の正義がにじみ出る。彼はオシムから「お前は悔いなく人生を走っているか?」という言葉を聞いたという。

