【サッカー書評】「日本のサッカーを強くするために、メディアも戦う」僕らの怒りが誌面からにじみ出る。フットボール批評1を批評してみる。

フットボール批評1の画像です 書評

ザックジャパンの顛末に、サッカー村の国民は怒りにふるえていた。

日本で唯一のフットボール批評本、フットボール批評issue01の刊行は2014年ブラジルワールドカップ直後。コートジボワールにはドログバにびびって負けて、ギリシャ戦では特に何もせず、コロンビア戦ではハメス・ロドリゲスに止めを刺されて1-4の大敗。

特ににサッカー村民が屈辱に震えたのは8年前の2006年ドイツのジーコワールドカップと内容が酷似していたためであろう。

2010年の第二期岡田政権はカウンターとブレ球で何とかしたけれど、結局その8年で日本は何もしていない……まったく成長していないことに言い知れぬ無力感を感じたものだった。つまり平たく言うと「結局これかよ」

華々しい3-4-3のザック魔術は結局輝かず、NHKは「口惜しさと喜びの20年史」という題で当時を振り返っている。

日本は負けた。だけど勝負はこれからだ。

そんな中「日本のサッカーを強くするために、メディアも戦う」と表紙のコピーで怪気炎を上げる姿はJ-WALKのオマージュを恥ずかし気に歌う姿からは考えられない。誌面の端々からこみあげる怒りの熱血がほとばしる。

コートジボワール監督のサブリ・ラムシにフランス・フットボール誌の記者が直撃すれば、当然自分は「してやった」と息巻いて語り出す。読者はそれを見てまた怒りを再燃させる。ザックにイタリア人の分析家をぶつける仕込みもエスプリが効いている。「コンディション不良で負けた」と今考えればありえないような言葉もしっかり活字に残して後世に伝えようという気概も見える。

つまるところ、これが感情の伝わる誌面という事なのかもしれない。上司がちょっと怒っただけでコンプラコンプラと言われる世の中だから、僕らはそうそう怒りを表せない。でもその怒りを代弁してくれたら、僕らは嬉しい。そうして欲しいほど、ザックジャパンはいとしさと切なさとやるせなさの中で解散した。

アギーレジャパンは当時、結構な歓待をもってサッカー村に現れていたと思う。バスク系のメキシコ人。いかにも日本代表にフィットしそうな感じである。いやむしろ、そうなりたい偶像にアギーレはかなり近かったし、意外とフォトジェニックでもあった。

だってこの表紙……アギーレさんで間違いないですよね。まさかそっくりさんじゃないですよね。

結局、僕たちはイビツァ・オシム(と少しだけトルシエ)に見た夢をまだ引きずっている。メインテーマの「アギーレを殺すのは誰か」の犯人は誰も予想がつかなかったけど、ハリルジャパンは民意を得られず、華々しい西野ワールドカップは栄光のふもとにまで手を掛けながら、守り切るという美学を持てずに敗退した。

日本戦で調子にのったハメス・ロドリゲスは得点王となりTOYOTAののCMに抜擢された。ちなみに共演は滝川クリステルと樹木希林である。

さて次のワールドカップではオシムが言ったような日本のチームが見られるだろうか。国民はアップデートを望む。

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