(FC東京公式Twitterより)
志村けんがコロナ禍で散った。
けんさんは、僕らの世代にとって最大のアイドルだった。
系譜としてはクレイジーキャッツに続くお笑いの大スターであり、
コメディバンドとしては彼ら以降、比肩しうる存在は生まれていない。
志村けんはまず、そんなドリフターズのアイドルだった。
並みいるおじさん連中の中にあって、甘いマスクとその奔放な姿は
加藤茶と並び、まちがいなく日曜8時からのお楽しみだった。
「全員集合!」は歌うたいのコンサートもあったけど、子供心に
「早く志村を出せ!」と思っていたものである。
「ヒゲダンス」、「いっちょめいっちょめワーワーオ」。
「カラスの勝手でしょ」は父親に連れていかれたクラブで最初のレパートリーだった。志村さんのマネをすると、やんやと周りが騒いでくれる。その高揚感は今でも忘れない。
志村さんの付き人をしていた沢田研二がTOKIOで空を飛んでいたときには
大いに驚いた記憶がある。「あいつもビッグになったモンだな~」なんて。
「バカ殿様」でお色気シーンが始まりそうになると、トイレにいくフリをして
そっとドアの陰からブラウン管を見つめた。そのまま僕がそこにいると、
親がチャンネルを変えることをわかっていたからだった。
ある時は母が激怒している背後に映る志村さんのコントで爆笑してしまったから、より火を油を注ぐという事態を招いたこともある。その時母が言った言葉は、「アンタ、私の人で人が死んでも笑ってられるんか!」である。
まったく意味はわからないが、そういうこともあった。
小学校では、「いかに志村のネタを覚えているか」でヒーローになれた。
日曜8時に映る志村さんは、子供たちにとってのコミュニケーションツールでもあった。
そんな志村さんがFC東京にあらわれたときには、「サッカー界もビッグになったなぁ」と思ったものである。あの瞬間、スタジアム全体がやさしさに包まれた。
そういえばドキュメンタリーで煙草をふかしながら自分のコントを見つめる志村さんの
姿を見た時には、「志村けんって本当は真面目な人なんだ!」と子供心に衝撃が走ったものである。
それと同じように、ずっとずっと元気でいると思い込んでいた。
世の中のみんな、そう思っていたような気がする。
さようなら志村さん。でもあなたは私たちの記憶にずっと残り続ける。
(アラヰフミ)