本宮ひろし、車田正美、黒岩よしひろ。
週刊少年ジャンプを彩った大作家は数あれど、 最大のスターが鳥山明であることに
異論をはさむものなどいないだろう。まさに唯一無二かつ他の追随を許さない。
「みんな、鳥山明を目指すけど、結局勝てない」
その後の大作家たちをもってしても、そういうものであるらしい。
そんなふうに「ジャンプ」 を体現する作家としても目されている彼であるが、実は、鳥山明の漫画観はかなり特殊である。 本宮あきらの熱血根性漫画の系譜でもなく、 永井豪のグロテスクでもない。アニメーターの巨匠、 芦田豊雄のフォロワーであり、モデラ― としての造形も深いといわれた彼の作風はそれまでの漫画界の常識 を覆した。
ひとくちにいえば、単純に画力が違っていたのである。
「ドラゴンボール」を上回る漫画脚本は存在しているだろうし、「ドラゴンボール」や「アラレちゃん」がのちのジャンプ作品の系譜を作ったかといえばそうでもない気がする。
圧倒的フィジカル。偉大過ぎて、真似のできない存在。
しかも彼は週刊作家だし、このんでアシスタントを使わないフシもあったという。
そして、「ドラゴンボール」という金字塔を打ち立てた彼は、 漫画界の枠を超えてその足跡を大きく残した。
「Dr.スランプ アラレちゃん」は毎週20% 以上の数字をたたき出し、 当時はウンコを前面に押し出す不謹慎アニメとしてPTAの皆さん の顔を曇らせることに成功。「ビートたけし、志村けん、アラレちゃん」 を昭和の不謹慎御三家として形容してもさしつかえないのではない か。 それほどアラレちゃんは絶大な影響力をお茶の間に示していた。
閑話休題。
鳥山明が「ジャンプ」 の隆盛そのものであったことは周知の事実である。
なんといっても週刊コミック誌で653万部である。
しかし、当時の少年たちにとって、 鳥山明はただの漫画家ではなかった。
ジョークが好きで恥ずかしがり屋の面白お兄さん。
そのイメージを決定づけていたのが「ヘタッピ漫画研究所」 であったと思う。
(この項続く)