【脚本家の映画採点】#3 関ケ原(このラスト好きです)

邦画

こんにちは、新井一二三です。

今回は2017年制作、原作は司馬遼太郎の同名小説「関ケ原」、監督:原田眞人:出演、 岡田准一、有村架純、役所広司などの大作、「関ケ原」を採点します。

原田眞人監督は「関ケ原」で何をしたかったのか?

今この時代に「関ケ原」に大したバリューはない。

司馬遼太郎にしても、取り上げるなら今するべき作品が山ほどあるだろう。

だけど、あえて今この時代に「関ケ原」、である。

邪推するならば、バリューなきタイトルでも押し切ってしまえる魅力を持った当代唯一の監督、原田眞人だからこそ成しえたタイトル。

それを原田眞人本人が望んだかどうかはわからないが、成ればそれこそ自分の矜持を押しとどめてこその監督人生。

数々の小説を映画化してきた彼だからこそしたい何かがあるはずで、結局のところ、それは「司馬史観」の再生に尽きると思う。

 

関ヶ原(上)(新潮文庫) 司馬 遼太郎

原田眞人が現代によみがえらせた「司馬史観」

司馬遼太郎が作り上げた歴史観が、あたかも真実のように日本人の心に植え付けられた――。

それが「司馬史観」の罪作り

司馬遼太郎にかかれば幕末の詐欺師も大英雄多摩のバラガキは歴史上屈指の色男、歴史書とフィクションのはざまを行ったり来たりしながら「歴史」という大河に読者を没入させるのが彼の所業である。

しかし、その「司馬史観」は現代では通用しない

何しろ真偽はWEBサービスで事足りる。

歴史小説が「教養」たりた時代はとうの昔に過ぎ去って、観客はフィクションをフィクションとしたうえで楽しむ時代となっている。

しかし、原田眞人はその「司馬史観」を現代によみがえらせた

そのロマンチシズムを感じてみると、この「関ケ原」が一風変わった味わいを見せるような気がする。

 

関ヶ原(中)(新潮文庫)司馬 遼太郎

僕は原田眞人に頼りたい。

悲しいかな、日本映画界にはもう原田眞人しかいない、という領域が厳然として存在する。

玄人好みの演出を重厚に折り重ねながら、映画としての芸術性を残し、かつ収益と大人の事情……も担保する。

どちらかというと世捨て人的、というよりこじらせ中年男なイメージもある原田眞人が「日本映画界のために云々」と考えているとはあまり思わないが、周囲は彼に期待する。

つまり、エンタメを成立させながら、日本人監督として映画にプライドを込め続けてほしいという願いを彼に期待する。

そのプライドが「司馬史観」のローカライズであるように思えるのだ。

 関ヶ原(下)(新潮文庫)司馬 遼太郎

「司馬史観」とは、ようは虚実スレスレのところで本物っぽく見せることが重要で、司馬遼太郎はかつて日本中を行脚する自分のイメージ作りからそれを成してきたように思う。

しかしそんな幻想めいたブランディングは今はできない。

やったところでWEB界隈から「あいつは歴史のペテン師」的なクソリプであふれかえるのは目に見えている。

だから「これはフィクションなんですよ?石田三成が都合よく表れて都合よく美人の女忍者に恋するわけないですよね?」とわざわざフィクションを前提立てている。

とはいえ目指すのは「現代の司馬史観」。長槍でペチペチするのが戦国時代なんですよ、と真実めいた描写を入れながら、虚実交えた戦国絵巻を組み立てていく。そこに「監督兼脚本家」原田眞人のプライドがにじみ出る。

とはいえ、岡田准一にはもっと期待したかったというのも正直なところはある。

 

CLUSTER 岡田准一×山田涼介『燃えよ剣』

ドラマ「SP」で彼が演じた華々しい演技はのちの国民的大スターへの道程もかいま見たのに。

ブラジリアン柔術のしすぎなのか、なんなのか。期待したほど「岡田准一×石田三成」のシナジーは生まれていない。

有村架純も「器用な女優」のイメージが悪い方に出ているような気がしないでもない。

「ビリギャル」でよく見えたのはサンボマスター補正だったのだろうか。

映画「ビリギャル」

ただ、それは全部役所広司のせいなのかもしれない。主役級の光をまとったまま風呂場で家康のでっぷり肥った腹回りをこれでもかと艶っぽく演じたシーンなどは、彼が日本俳優界のトップランナーであることを雄弁に物語る。

しかし光がありすぎて、どうしたって悪役な感じがしない。

「イケメン悲運の石田三成」と「成金趣味の嫌味な家康」の対比がいまひとつ成立していないのだ。しかし原田も役所広司も悪いことをしたわけではないと思う。

しかし、役所広司と伍する光を放つ役者が本作には一人存在する。それはチョイ役の松山ケンイチでもなく、「原田組の申し子」滝藤賢一でもない。もちろんキムラ緑子でもない

小早川秀秋に扮する東出昌大である。

優柔不断、優しそうだがさえない男。押しに弱く、状に流され間違った決断をしてしまう男。ユーアー東出

虚実交える「司馬史観」を誰よりも体現してしまった東出昌大の天才的ダメ男加減は、おそらく努力で成しえる類の才能ではないのであろう。

ある意味リリーフランキー的な天才性を持つともいえる彼は、もはや天然記念物クラスといって差し支え無さそう。

「あなた本当にどこにでもいますね」と思わず僕が優しい目で見つめてしまう麿赤兒とともに熱視線を送ることを強くお勧めしたい。

聖の青春 

映画はわかりやすくなくてよい。

また、この作品から、これまでの原田眞人監督作品がそうであるように、「映画はわかりやすくなくていいんだよ」というメッセージを感じるのは僕だけだろうか。

「ゴッドファーザー」がわかりやすかっただろうか?

答えはNOだと歴史が示している。

そもそも一回で凡人にそのすべてを読み取られるようならそれは芸術ではない。

何より結局、原田眞人は原田眞人監督作品らしい納得感を、観客に与えたのは事実。

僕はそれを、彼なりの「司馬史観」の解釈ゆえだと認識している。82点

※採点基準

  • 90点~人生を変えるほどの魅力を持った作品
  • 80点~ジャンルを超えて対価以上の価値が大いにある作品
  • 70点~ジャンルが合えば対価以上の価値がある作品。
  • 60点~対価に見合う作品。ジャンルに興味があれば。

ちなみに2020年5月現在では「amazonプライム」で視聴できる模様です。興味のある方はこちらから視聴をぜひどうぞ。無料期間の視聴がおすすめです。(なお原田作品はキャンペーン期間が終わるとさらっと観れなくなることが多いのでお気をつけください)

 

あの感動をもう一度!関連動画は次のページから。

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